学生時代、日本史の最初の授業で先生が質問した。「君たちは、なぜ日本史を学ぶのか?」。良い先生ではあるのだが、当時、日本史が必須でしたから、「授業なので仕方なく」としか答えようがない空気が教室に充満した。受験で必要だから勉強しているという、ちょっとだけ先を見通している者も多少居た。私は数学が好きだったから、歴史の時間はなんとなく数学の問題ばかり考えていた。同じ質問するなら、こういう本を自分で買ってまで読んでみよう、という人にすべきだろう。そして、この本はまさにその問いを発していて、久しぶりに学生時代を思い出した。

歴史について興味を持ったのは、社会経験を積んで、ある程度、経済や社会の起伏を経験してからだ。“歴史は繰り返す(History repeats itself.”)という格言は、英語の再帰代名詞の例文として繰り返し教えられる。その内容について、身に染みて思い知らされたのは、社会に出て、仕事を持ち、不況と向き合った時だった。ちょうど今、全世界がCovid-19感染症という危機に直面して、スペイン風邪の時代や、ペスト大流行の時代に思いを馳せるように、前回の経済危機と今回とは何が違うのか?前回はどのように回復したのか?今回はどうなるのか?そんなことを考えていた。“今”の視点から過去を振り返ることで、何か解決策が見つかればラッキー、などと往生際の悪いことを考えていた。そうなる前に、なんで準備しておかなかったのか、という責任追及が、社会に出ると、ほんと厳しい。でも、歴史とは今(現代)を通して考えるものだ、と言われれば、確かにそれはそうだな、と思う。

この本の大部分は、日本史に関する広く深い知識と理解とで、さまざまな具体例を挙げながら、競争を好まない日本社会が、いかに世襲制を大切にしてきたか、を明らかにすることに費やされている。呆れるほどたくさんの具体例が、面白い人には面白いだろうし、そうでない人にはそうでないかもしれない。しかし、日本史全体を通じて、日本社会にある大きな傾向は何か、そこから外れる特異例は何で、それのどこがどんなふうに特異か、という分析手法の具体例として読み通すと、日本史研究の日本史離れした面白さに気付かされる。分布図から傾向線を抽出し、傾向線と各点との残差の根拠に注目する回帰分析の手法と類似している。まさに“理系”の感覚に近い。

裁判の判例分析なども、アプローチ方法としては似ているだろう。同じような事件について、異なる判例がどのような考え方をベースに、いかなる事実認定をして、どのような判断で最終判決に至ったか、判例が積み上がるほど、基本的な考え方や判断のアウトラインが太くなぞられて行く。そのアウトラインも絶対不変ではなく、時々、それまでのアウトラインを消して新しく引き直すような判例が出て、マスコミを賑わすことがある。判例をよく読むと、科学技術の進歩や、その時代の価値観の変化などが折り込まれている。判例については、アウトラインの部分、つまり基本的な考え方や判断の傾向が、「ほんとにそこで良いの?」と思うこともしばしばだが、それはまた別の機会に考えてみようと思う。

日本史に限らず、研究の面白さが伝わってくる良書です。

本郷和人/日本史でたどるニッポン(ちくまプリマー新書)