ずいぶん寒くなりましたが、今年、夏の暑さも盛りの頃、学校給食が突然ストップ、というニュースがありました。
給食室もストライキか?と思ったら、そうではなくて、材料費、燃料費高騰で価格転嫁できなくなった“給食提供企業”の倒産でした。私にとって意外だったのは、学校給食サービスが外注されていたことです。学校給食と言えば、私には給食室、白衣を着た逞しい人々、大釜、配膳台・・・そんなイメージが次々に浮かぶので、学校内で作るのが当然だと思っていました。

給食が突然ストップするって、大変ですよね。「今日、弁当持参だってよ」と朝、急に言われても、簡単に準備できるわけありません。それどころか、給食がその日最初で最後の食事、という子供も居る厳しいご時勢です。給食は重要なライフラインです。

学校は、勉強を教える場と割り切れば、給食は民間業者に外注しても良いのでしょう。ただ、そのような判断が簡単に出来たのは、物価も供給量も安定していた時代だったから、かもしれません。日本がこれまで長らく突出したデフレ経済の時代から、今後、インフレ経済に移行する途上の混乱の時代に突入するなら、なんでもとにかく外注すること、民営化が問題解決の最善策になるとは限らないかもしれません。公共サービスと民間サービスと、どちらが本当に効率的か、リスク耐性が必要十分か、そのようなことを、よく考えて選択することが大切です。

ところが、給食に限らず、医療、介護のような、高齢化社会で今後ますます必要になるサービス分野、一般大多数の人々の日々の暮らしの必要を満たす課題について、国政は熟慮しているとは言えません。国と大企業の癒着について、ほとんどの人は呆れるほど納得しています。政治の劣化が止まらない、と諦めつつ、最近、新しい動きが起きています。私の地元の杉並区では、長く続いた区長が新人に変わり、議会の半分の議席が女性議員になりました。杉並区でいったい何が起きているのだろう?と思ったら、この本の第三章を読みましょう。国政に対する絶望はとりあえず置いて、自分の暮らしの未来を考える場として地方政治、地域政治と向き合うことから始めたらどうか。と岸本区長が書いています。たしかにその通り。地方選挙の1票は、国政の1票より価値があります。1票の近差で当選、落選が決まるきわどい選挙です。ある意味、国政選挙より迫力があります。

この第三章を、少し抽象的に書いたのが斎藤幸平氏による第七章です。『人新世の「資本論」』がちょっと何言ってるかわかんなかった人は、第三章を読んで第七章を読むと理解が進むかも。

それはそうと、あらためて杉並区の給食事情をネットで見たら、こんなものが・・・。

https://cookpad.com/kitchen/12270765
https://www.youtube.com/watch?v=UyIAuTbXQ2M

珍しく感心してしまった。給食サービスにしても、それを支える要員を確保できるか、それが無理ならどうするか、という問題を考えなければなりません。地域によって人口減少のスピードが異なることを考慮すると、その解決は、地方自治、地域自治の果たす役割が大きいはずです。

給食のメニューでは、私は揚げパンとミルクティーが大好きでした。
今でもマーケットで“思い出の味”とか言って売ってるけど、うーん、給食の味には届かないかなあ。

斎藤幸平+松本卓也編『コモンの「自治」論』(集英社 2023年)

選挙運動期間中にネット有料広告を出していたとして、区長が辞職する事件もありました。地方自治では、経験が少ない人でも首長や議員に立候補しやすいことを考えると、選挙運動の進め方のルール(公職選挙法)を十分理解しているか、心配です。選挙運動中、支援者の過剰な熱意が、思わぬところで一線を越えてしまう、というリスクへの備えが必要です。