街角に置いてあるピアノを見かけると、どのような人たちが、何を考えて、このピアノをここに置いたのだろう、と思う。周囲の商店街とか、行き交う人々の様子とか、自分なりに考えながら、可能な限り、その場その時の雰囲気に合う曲、少なくとも場違いでない曲を、あたかもBGMのように弾くことができたら理想です。建築物を見ると、その用途とか、せいぜい歴史を調べる程度だけれど、人々の都市生活を支える設備、建築物は、20年とか30年、それ以上に長寿命で、都市生活者の暮らしに馴染んでいます。その、人々が慣れ親しむまでの感覚を、新聞、テレビなどマスコミの古い記事や広告から掘り起こし、インフラの見方、深い味わい方を教える本です。
花の写真を撮影するのが好きな私としては、“電柱”は、よほどのことが無い限り、写さない被写体です。見ることを無意識に避けているかもしれません。しかし、あらためて考えると、電力や情報を送り届ける重要インフラです。仕事で電気工事業者さんとご縁があってから、電柱とか電線とかを注意して見るようになり、“電柱萌え”という世界も知りました(ちなみに私は“鉄筋萌え”かも)。電柱に萌えるほど“好き”か、無意識に視界から外すほど“好きじゃない”か、は論理ではなく、おそらく、感情、情緒の世界です。人々の生活に溶け込んだインフラを分析するには、論理だけでは不十分で、インフラに対する論理を二分することもある感情、情緒に分け入ることが必要です。
そのように心の準備をして、この本を読むと、とてもわかりやすい。最初に読んだ時は、情緒的な記述が目立って、なんだか読みにくい印象でした。しかし、街の機能として人々に受入れられているもの、馴染んでいるものは、その存在の是非をめぐる議論を忘れるほど、人々の心の底に沈んで定着している、のかもしれません。その分析のためには、情緒的記述を避けることは難しいでしょう。
ところで、電柱は、まだ議論の余地があるインフラ設備のようです。東京都も無電柱化を進めていますが、この本にも書かれている通り、大昔に同様の議論があり、財政的に余裕が無かった、時間が無かった等、いろいろあって現在に至っています。その、過去いろいろあって難しい事情は、歴史の教訓として、しっかり把握しておく必要があると思います。
田中大介 『ネットワークシティ 現代インフラの社会学』(北樹出版 2017年)