世の中が仮装パーティに浮かれたり、不幸な事故による悲しみに沈んだり、その余韻が残る2日、仮想空間に関する講演を聴きに行きました。
未来社会において芸術はどうなるのか?
講演者の一人でヴァイオリニストの成田達輝氏が、音楽の歴史を簡単に説明していた。音楽はもともと宮廷とか教会とかで、限られた人だけの楽しみだった。それが、時代を経て、演奏会場が多様化し、音楽作品も多様化して、より多くの人が楽しむようになった、と。今、迎えている変化は、音楽を具体的な形があるモノ(例えばCDとかDVDとか)でなく、インターネットから入手して楽しむ、という変化である。音楽が、どこに保存されているのか、あまり考えなくても、音楽を楽しむことができてしまう。
音楽の多様化は、マネタイズの多様化にも影響した。演奏会のチケット制を発明したのは、たしか、あのベートーヴェンだ。おカネの無い一般市民でも音楽を楽しめるように、会場とか、チケットの価格設定とかを工夫した。いわゆる仮想空間の音楽は、コピーが蔓延るので、これ、本当にアーティスト本人の演奏なの?とか、合法的なコピーなの?とか、それなりに問題が起きる。そこで、デジタル・データとなった芸術作品の唯一性を証明する仕組みとしてNFT(非代替性トークン)という新技術が発明された。
NFTのおかげでデジタル芸術が投資対象として盛り上がりを見せているように見えるけれど、NFTは、デジタル芸術の楽しみ方の多様化の中で生まれたテクノロジーのひとつに過ぎず、それ自体に何か投資価値があるわけではなく、デジタル芸術そのものの価値とも直接の関係は無い。デジタル芸術は、仮想空間でなければ楽しめない、という特殊な条件があるけれど、他の芸術と同様、その作品そのものが与える感動によって、作品の価値が決まる点は共通だろう。
ところで、仮想空間という言葉が私はとても気になった。講演者の成田氏が、仮想空間に関するコメントを求められて、自分は学生の頃、音楽学校への長い通学時間に、一流の演奏家の自分をイメージするのが習慣だった、みたいなことを語った。少しズレている感じはした。ところが、よく考えると、これが確かに“仮想”なのだ。たとえば新明解国語辞典(三省堂)は、“仮にそうなった場合のことを考えること。”と最初の定義に書いている。バーチャルの定義は2番目だ。成田氏は、たしかにバーチャル空間のことを詳しくは知らなかったのかもしれないけれど、リアルに、身体性豊かな音楽芸術に生きる人間として“仮想”を誠実に語ったのだ。
仮想通貨とか言うけれど、通貨を仮想するヤツなんているだろうか?コンピュータのメモリとか、磁気媒体とかにあるヤツだよ、仮想するの?通貨を仮想なんかしないよ。プログラミングとかで、“仮想マシン”とか言ってたところまでは良かったと思う。“仮想通貨”と言った時点で、一般庶民のおカネの感覚と、“仮想通貨”とは離れてしまったのだ。おそらく私達は“仮想”を誤解しているか、知ったかぶりしている。成田さんの感覚が、ある意味、正常なんだよ。バーチャルの訳語は、たぶん“仮装”。
成蹊大学Society5.0研究所主催シンポジウム&ミニ・コンサート
未来社会における芸術
法律・ビジネス・実演の視点から
現実空間と仮想空間が融合するSociety5.0で、芸術はどうなるのか
2022年11月2日 成蹊学園本館大講堂