神社仏閣のような、頻繁に草取りをする環境では、植物は小型化して、より早く成長、結実し、繁殖できるように、環境適応するのだそうだ。神社仏閣矮小性とか言うらしい。大きいことが必ずしもメリットにはならないこと、一定の期間ごとに草取りのような事故が起きるなら、その間で成果を出すことを考えて、適切な規模とスピードで生き延びること、そのようなアプローチも大切だと教えられる。

Covid-19感染症の流行が2年目を迎え、経営がもう限界、と嘆く経営者も多い。あまり慰めにはならないかもしれないけれど、少し視野を変えて、雑草に学ぶのも良いのでは、と思う。この本の帯に“踏まれたら立ち上がらない!”と書かれているように、雑草は、踏まれたら、立ち上がることは考えず、そこから種子を残すことに集中するのだとか。復旧にこだわる余り、時間をかけて過去に戻るのではなく、現時点から新しい未来に向けて生産的に時間を使う。そのような知識を得て、街なかを歩くと、確かにすごいカッコウで元気に花を咲かせる雑草たちが次々に目に飛び込んで来る。

小さい企業が多いと、経済はうまくいかない、と言う主張がある。この主張は、正しくもあり、間違ってもいる。大企業も中小、零細、個人事業もそれぞれバランス良く存在する経済が良いのだが、ベストなバランスを具体的に示すことは難しいだろう。感染症の流行が長引くほど、緊急事態宣言で特定の産業の動きだけを制限したり、特定の条件に合致する事業者に給付金を支給したりするタイプの政策が、徐々に効果を減じているようだ。生命も経済も、社会全体として、生態系として包括的に取り扱う必要があるからだろう。景気見通しの統計などでも明らかなように、不況の影響は事業規模が小さいほど深刻で、それは今回のCovid-19感染症による経済ショックについても同様だろう。大企業と、中小企業とでは、経営力や財務基盤などに差があるのは仕方がないとしても、中小事業者に対して、一方的に衝撃吸収、緩和の役割を押し付けるような経済の在り方は問題だ。

冒頭の神社仏閣矮小性の話に戻ると、一定の間隔で経済危機が起きる時代なのだから、必要以上に規模を大きくしない、という経営も検討に値する。最近は「脱成長」などと言われるけれど、量やサイズとは異なる次元で、まだまだ成長の可能性があるのでは?

稲垣栄洋/雑草はなぜそこに生えているのか(ちくまプリマー新書)